別所のおばあちゃん


私にとって、おばあちゃんと言えば、
別所のおばあちゃん。

小さい頃は駄菓子屋を営んでいて、
寝たきりのおじいちゃんの世話をしてた。

学校では駄菓子屋の孫ってことで羨ましがられたもんで、
遊びに行くと、いつも駄菓子をたくさんくれた。

世界で人気のうまい棒、よっちゃんイカ。
プラスチックの大きなフタを開けて、
「持ってっていいよ」の返事を待つ。

跳びはねるほど嬉しい瞬間だった。

庭の畑には栗の木や大根、白菜にはっさくなど、
季節の野菜がたっぷり栽培されてて、
いつも母親が抱えきれないほど持って帰ってきてた。

正月にはおばあちゃんの家に強制的に集められる。
私が就職してもしばらく続いてたから
30年近くは続いた伝統のイベントだった。

末っ子の息子だったので、親戚はみんな年上で、
肩身の狭い思いをするのが嫌で、渋々行ってた。

父の家系は農協のお偉いさんとか銀行のお偉いさん、
息子は後に裁判官になるし、娘は医者になった。

勉強が苦手だった私は人見知りで、
父と将棋を指しながら過ごしてた。

父はいつも、飛車角抜きで私に勝った。
親戚一同が正月に集まるのは当たり前だと
この頃は思っていた。

裁縫が得意でセーターやらお財布やらを編んでくれた。

小学生だか中学生ぐらいの時に家出をして、
一度だけおばあちゃんの家に行ったことがある。

おばあちゃんは猫を抱きながら、
じっと私のことを見ててくれた。

東京に就職してからは、たまに参加できないこともあって、
父が激怒するのでなるべくは帰るようにしてた。

そのうちおじいちゃんが亡くなって、
駄菓子屋を閉めたぐらいから
おばあちゃんの具合が、というかボケ始めた。

施設に入ることになってから、
正月に親戚一同集まるイベントも無くなった。
当たり前のことが無くなると少し寂しい。

もうこれでカウントダウンライブだって行けるはずなのに。

たまに施設に顔を見に行った。
この10年で3度くらい。
もうちょっと見に行けば良かったけれど。

可愛がってた人のことはずっと覚えてるという。
三男の父のことは最後まで覚えていた。
私のことはその次ぐらいに覚えてた。

そのおばあちゃんが、いよいよ看取り室に入ったという。
お見舞いに行ったら施設は老人がたくさん。

介護士の方は、本当に大変なお仕事されてると思う。
やりたい仕事より、必要とされる仕事に
就く人の方が圧倒的に多い。
自然と頭が下がった。

おばあちゃんの顔を見ると、それこそ
色んな事、当時のことを思い出した。

たった30分ぐらいのことだったけれど、
男の幼少期なんて恥ずかしい記憶ばかりだ。

今日未明に亡くなったと電話が来た。
94歳なので大往生したと言える。

大往生だよ、おばあちゃん。

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