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シンガポールはどうやって稼いできたのか


さて、シンガポールのお話しに戻りますね。
国防体制の確立とならんでシンガポールにとって
最重要課題となっていたのが経済成長。

独立当時はイギリス植民地時代からの
貿易・海運産業や輸出品としてのすずやゴム、
それにかかわる金融や保険、小売、サービス等の
中継貿易が産業の中心でした。

これは貿易は発達しているけれど、
製造業が未発達であることを表しています。

それでまず行われたことは、世界市場に向けて
工業製品を生産し、輸出すること。

実はシンガポール国の収入を上げるための
最初の取り組みは製造業だったんですね。

しかしシンガポールには産業を育成しうるほどの
資本力やノウハウがある企業が皆無でした。

そこで活用されたのが外資系企業の存在。

外国資本からの投資と、外国企業の進出で
シンガポールの工業化を推進しようとしました。

そこで、シンガポール政府は外国資本の
投資を促すための環境整備を最優先しました。

当時は世界の貿易が急速に拡大していて、
先進国の多国籍企業が安価な労働力である
発展途上国への進出をすすめつつありました。

そのため外国資本は積極的にシンガポールの
工業化を後押ししようとしたんですね。

そこで、外国資本によって電機・電子部品等の
工場がシンガポール国内に建てられて
シンガポールの工業化は一気に進みました。

分離独立の直後から1978年までの
経済成長率はオイルショックの停滞期を除いて
2ケタ成長をしていて、その成長は凄まじく
世界の注目の的になりました。

ここは「軌跡の復興」と呼ばれた
日本が多くのモデルとなっています。

この成功で逆に労働力不足が問題になりました。

さらに他の東南アジア諸国も同じように
外資を誘致して工業化を進めました。

そこでリークアンユーは差別化のために
労働集約型の製造業ではなく、資本集約型
技術集約型産業へと産業構造を転換するべく
大きく経済政策の方向を変更しました。

ハイテク産業を誘致するだけでなく、
低賃金の企業を淘汰するために
賃金の値上げを大々的に行います。

おそらく多くの製造業が潰れて
ハイテク企業に生まれ変わったはず。

一旦マイナス成長になったものの
すぐ盛り返し、また1990年台まで
6~10%の成長率を維持しています。

この大胆な方針転換と政策転換と
リーダーシップがシンガポールの強み。

国も企業も、リーダー次第なんだな。
覚悟を決めた人間は強い。


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エグゼクティブクラブ代表の吉田です。 エグゼクティブクラブは9年に及ぶ実績を元に多数の成功者を輩出し、 14,000件以上に及ぶメール相談実績、2,700有余名以上の歴代会員サポート実績、 マニュアル・コンテンツ総数3300ページ以上、10名以上の講師陣によるサポート体制、 業界最大級の海外販売・個人輸出の会として、 あなたに的確なアドバイスをさせていただきます。

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